皆さんこんにちは、お元気でしょうかお久しぶりです。
3月は色々とバタバタしていたためほとんど更新できませんでしたが、私は元気です。
さて、2月から始めた読んだ本のリスト化ですが、3月は忙しかったという事情もあって早速とん挫しそうになりながらも、とりあえず何冊かは読めたのでまとめておこうと思います。
今回は、そういうお話です。
では以下、3月に読んだ本になります。
雑誌やコミックス、ラノベ等は除外してあります。また、タイトル、著者表記は
タイトル/著者/出版社/(読了時の評価)読んだ期間
となっています。評価基準はアルファベットの5段階とし、
S:ぜひとも蔵書に加え永劫手元においておきたい
A:蔵書に加えたい
B:面白いけど買うほどでもない
C:いまいち
D:お察し
です。5段階ではくくりが大まか過ぎるので、さらにプラスマイナスの基準も設けてみました。
なお、これはあくまで私見ですので、ご自身の好きな著作が低評価だったとしても「こいつ見る目が無いなぁ」と笑ってご容赦ください。また、いかなる場合であっても著者や著作を悪しざまに言うつもりもございません。
葉隠/奈良本辰也(訳編)/知的生きかた文庫/(A-)3/8-10
「武士道といふは死ぬことと見つけたり」であまりにも有名な本の、現代語訳版。葉隠の現代語訳は他にもいくつか出ているが、初めて読むにあたってはこの本が最も自然な訳で読みやすいと思う。ただ、原著を再編集しており内容も3割程度にとどまっているので、その点には注意が必要。
内容は、(武士として)如何にして生きるべきかを記したもので、現代日本においてもなお通じることがある。元来日本人は封建的社会で生きてきたという歴史があるわけで、葉隠で述べられているような思想は現代日本人の根底にも脈々と受け継がれているのかもしれない。さすがに現代社会では当てはまらないような部分もあるものの(今の時代に追腹は無いでしょうし)、過去の人の信念や生き様を知り、それが我々にはどのように継承されているのか、あるいは継承すべきかを考える上ではそれもまた重要であろう。
ちなみに、武士道に関する名著としては葉隠のほかに新渡戸稲造の「武士道」があるが、葉隠は「武士道」に比べてより実際的・具体的な記述が多い印象を受ける。一方新渡戸稲造の武士道は、西洋騎士道と対比することで武士道の特異性を浮き彫りにしようとしており学究的側面が強い。葉隠は日常的に心得ておくことを記した指南書、「武士道」は武士道そのものをより深くまで追究した学術書、といったところだろうか。もちろんこれらに優劣をつけるつもりは無いし、どちらも読むに越したことは無い。むしろ相補的なものだと思うので、併せて読みたいところ。
常温核融合/青木薫/吉岡書店/(B)3/12
1989年に彗星のごとく突如としてあらわれ、そして消えていった常温核融合についての本。ちなみに、常温核融合というのが何かについて軽く触れておくと、通常では何万度という高温とそれを閉じ込めるための高磁場が必要とされている核融合が、非常に簡素な実験装置で実現可能というもの。発見者らによれば、パラジウムのような水素吸蔵合金を電極に用いて水の電気分解を行うと、発生した水素がパラジウムに吸着する。水素はパラジウム内へぎゅうぎゅうに詰め込まれ、通常ではありえないほど原子核同士が接近する。するとトンネル効果による量子的な揺らぎが原因で原子核同士が衝突し、融合する……ということらしい。これが本当であればエネルギー産業に大革命が起きたことは間違いないが、本当でなかったのは云うまでもない。
常温核融合のプレス発表が1989年にあったのに対し、この本の出版は1990年と、非常に素早い。そのためまだ世間的な評価が定まっていない(とはいえ読んだ印象としてはすでにある程度の趨勢は決まっていたようだが)時点での本となる。読んでいると、なんだかちょっと前にわが国で起きた騒動が思い出されてきて、何とも言えない気分になる。
出版年が古い本ということで、現在では明らかになっていることが本の中では明らかではなかったり、あるいは現在との通説が異なっていたりして、「あれ? そうだったっけ?」と思うこともしばしば。現在の科学動向に明るい人か、あるいはちゃんと調べるだけの地力がある人でないと、こういう古い本から正しい知識を得るのは難しいと感じた。自分自身、そういう理由から、あまり古い本は好きではないのだが(もちろん小説や言説、一部名著などは別)、常温核融合に関する書籍がこれくらいしか見つからなかったので、仕方なしに手に取ったところもある。
とはいえ、常温核融合に限定しない新エネルギーの今後に関する展望は現代社会でも十分に通じるところである。ただ、それだけなら別にこの本にこだわる必要もないわけで……。
左利きの人々/渡瀬けん/中経の文庫/(C-)3/25
世の中が如何に右利きに有利か、あるいは左利きはどれくらい不便な思いをしているかについての本……というとご大層だが、要は「左利きあるある」的な事柄を集めたもの。気楽に読んで「ふぅーん、そうなんだぁー」と思う程度の本なので、ここから何かを学ぼうとか、何かの参考にしようとかいうのとはちょっとベクトルが違う。左利きの人との話のネタに使えそうではある。なお、著者は本の中で「左利きが右腕に時計をすると不便」と述べており、時計の竜頭は左腕にはめて右手でねじるようにできているから、というのがその理由だが、私はそうは思わない。私は右利きだが時計は右手に着けていて不便を感じたことは無い。第一、時計の時刻なんてそうしょっちゅう合わせるものでもないだろうし。むしろ、左腕に時計を付けていると竜頭が手の甲に食い込んで痛いので、それが解消されるだけでも右腕に時計をはめるだけの価値は十分にある(そういう理由で私は右腕に時計をしている。どうでもいいが)。
大学の話をしましょうか/森博嗣/中公新書ラクレ/(A)3/26
著者の森氏は「すべてがNになる」などで有名なミステリー作家らしいが、恐れながら私は存じ上げていなかった。なのでこの本を手に取ったのは全くただの偶然、気が向いたから、という一言に尽きる。さて、そんな氏が語るのは現代の大学生や、大学組織についての見解で、これがとても心地よい。現代の大学生について語られる場合、とにかく「近ごろの若者は云々」といった超典型的批判が繰り広げられがちだが、氏の見解は全く逆で、とにかく学生を肯定してくれている。肯定しすぎて逆に不安になってくるというか、「皮肉か?」とも思えるくらいだが、とにかく粗を探すのではなく、現状を良しと受け止める向きは(私は大学生ではないが、若者の一人として)読んでいて安心する。これは氏が大学生を一人前の大人であると捉えているからに他ならず、つまりは師弟の上下関係ありきではなく、対等な一対一の人間として扱っているからこそであると感じた。また、大学とは何をすべき場所なのか、大学生と教員との関係はどうあるべきかについても述べられており、これは現役大学時代かあるいは高校時代に読んでおきたかったと強く感じた。なんだか漫然と過ごしてしまいがちな大学生活に明確な目的意識を持てる、そんな一冊。
著者は理系の人間ということもあってか文体は理路整然としており、明瞭かつ簡潔。とても読みやすい。Q&A形式で進められていくのも気軽に読めて好印象。大学生・大学院生には一読をお勧めしたい本。
氏の知識についての意見である、「なんとなくの知識でいいから的確に思いだせることが重要(詳細は調べればわかるんだから、その詳細にたどり着けるまでの『なんとなく知ってる・聞いたことがある』ことが知識として大切)」とする一文(意訳)には、深く感銘した次第。そういえば、かのアインシュタインも光速度を問われたが答えることができず、「そんな数字はどうせ本に書いてある。いちいち覚えて何になるんだ」と言ったとか言わないとか。
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